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女性の健康の悩みを専門的に解決する理学療法士の大柄です。
こちらの記事では、わたしが妊活サポートや妊婦さん、産後のケアをすることを決意したきっかけを紹介しています。ママたちの暮らしが豊かになるようにと活動するわたしの原点は、「妻の妊娠・出産時の出来事」と「子供たちの成長の楽しみ」なのです。
わたしの想いに共感していただける方とご縁がありますように。
目次
妻の言葉
『こんな形できたくなかったな』
妻がいった一言。これは、妻が初めて妊娠した後に、妊娠6週で化学流産となり掻爬手術後の病室にて、私に小さな声で届けた言葉です。
妊娠して順調に経過して分娩室で産みたかった気持ちがあらわれた言葉だと感じました。
この言葉を聞いたとき、どう声をかけたらいいんだろうと、迷い・不安などなんともいえない思いをいだいたことを覚えています。
その思いが強すぎて、なんと声をかけたのか覚えていません。夫としては失格だと思いますが、あのときは、冷静に判断することが難しかったのです。
しかし、この言葉が不妊や出産の悩みを解決するサポートをしていこうと決心するきっかけとなりました。
喜びと落胆
女性の健康のサポートをしようと志したのは、妻の「妊娠と出産」がきっかけです。妻と結婚して子どもを考えるも、2人ともいそがしくて時間があわず、きづいたら早2年。いわゆる「不妊」という悩みです。
不妊クリニックを受診しタイミングをみて経過をみていくことに。はじめは妻だけで来院していましたが、夫の精子検査もしておきましょうとなり、一緒に不妊クリニックにいくこともありました。
不妊クリニックに通いだしてから数ヶ月が経過したある日のこと。妻がおもむろにみせてくれた「妊娠検査キット」。はじめてみたのでよくわからなかったのですが、喜んでいる妻の表情からしてこれは妊娠の陽性反応がでていることを確信しました。
「やったーーーーーー!」
というのが心の声で、にやけ顔がこぼれんばかりにでていたと思います。それは2016年3月のこと。喜びでいっぱいのひと時でした。
その喜びからいっきに落胆へ。
妊娠から6週での検診にて「流産」となりました。喜びから悲しみへ転落。検診の朝に、妻とお腹の赤ちゃんにいってきますと伝えて、妻からのLineを楽しみにしていた昼休憩。
Lineからは妻の悲しげな姿が想像できました。ぜったい一人で泣いているに違いないと予想しつつ、いたわる言葉を返し。早く仕事終えて急いで帰って妻を支えなければという思いでいっぱいでした。
妻はだいぶ泣いていたとのこと。顔はむくんでいたので相当泣いたのだと思います。6週での流産は化学流産であることが多く、こればかりはなんともしょうがないといわれたとのこと。
振り返りと夫としての役割
調べてみてもやはりそのとおりで。数週間の喜び期間があっというまに悲劇へと変わりました。悲しむまもなくお腹の中にできた胎嚢をとりだす掻爬手術をする日程が決まっていました。
この出来事から「妊娠は、奇跡的な出来事」ということを痛感しました。
そして、掻爬手術後の病室でのあの言葉。暗闇のどん底へと落とされた思いでしたが、これで終わったわけではないと気持ちと頭を切り替えるように何度も何度も自分にいいきかせました。夫が支えなければいけないのです。
二人ですごす時間
妻を心配して、二人で過ごせる時間を増やせるように環境を整えました。今までは、月に1~2回、休みが合えばよかったリズム。妻と相談しながら時間を合わせて「2人で一緒に過ごす時間」を作りました。
その間にわたしなりに「不妊」に関することを調べました。日本における不妊の現状。日本は不妊大国であることをはじめて知り、同時に理学療法士として体を整える仕事をしている分、なにか不妊を解決するためのサポートはできないものかと思うようになりました。
体の構造・動きのしくみなどは勉強してわかっているのに、不妊・妊娠についてはどう関わったらいいのかまったくわかりませんでした。なにもしてあげられないという思いは、私にとって最大のストレスでした。
このときに感じたストレスがなければ、妊活サポートに見を投じようとする気持ちは現れなかったと思います。セラピストででなければ、妻への思いや、同じ境遇にあっている方への思いがでなかったと思うのです。
理学療法士は、不妊治療に携わる医療従事者としての認識は浸透していません。けれども、解剖・運動・生理学をもとにひとの体のシステムを理解する資格ですので、十分不妊の原因を追求し、体を妊娠体質に改善させていくことができるだろうと具体的な根拠はまだなかったものの確信に近いものは抱いていました。
むしろ、創り上げていこうという気持ちを抱いたのです。
改めて迎えた希望
手術から3ヶ月で妊娠。期待は膨らみましたが、焦らずにいこうと冷静にみていこうと二人で話し合いました。やはり不安なんですよ。。。
一度流産した経験がある場合は、その後の妊娠にどう影響するかなど文献を調べたりした記憶があります。不安な気持ちを少しでも楽にしたい行動でした。
調べていくうちに、「生殖」に関する知見は私がしらないことばかり。難しいことが多くて、なかなか頭にはいってこなかったです。でも、自然とこの分野は学んでいきたいという思いは強まっていました
妊娠から3ヶ月が経過。安定期をむかえ、まずは安心してもいいよね?とお互いに確認。やっと少し不安が落ち着いた瞬間でした。3ヶ月は短いようで、その当時は1日1日が長く感じられていたので、本当に長かったです。
妊娠中もうかうかしていられない
妊娠7ヶ月で切迫早産で緊急入院となったのです。定期検診で、自宅近くのかかりつけ医へ受診。内診したところ「子宮口が開いています。入院して安静にしましょう。」すぐに医師から伝えられて、プチパニック。
「子宮口が開いている?入院しなければならない?どういう緊急性なの?」
不安な思いと焦りが頭の中で巡るはめぐる。順調にいっていたじゃないか、まだ試練を与えるのかよ。と不安と誰にもあてられない怒りが交叉していました。
かかりつけ医では設備が不十分らしく、近くの大学病院へ転院・搬送。入院は、振り返ると2ヶ月。仕事終わりや休日を利用して着替えをもっていきながら、ずっとそばにいて寄り添えるようにしました。あっという間の2ヶ月でしたが、よくやったなーと振り返ります。
切迫早産についてもいろいろと調べる。また、自分は何もできないじゃないか。お腹の張りをはんとかできないだろうかと、ネットの情報や研修情報を四六時中探し当たりました。
それでも良い情報を手に入れることができず、1日1日が過ぎていきました。流産・切迫早産と医療に携わるものとしてなにもできないじゃないかという思いがまたでてきました。
決意を強めることになったできごとでした。
やっとあえたね
さて、入院から2ヶ月。緊急事態の知らせが朝からLineで。お腹の赤ちゃんがちょっと急変したため、もしかしたら緊急帝王切開で出産するかもと。朝から心が穏やかではない事態です。
なにもできることもなく、仕事がはやく終われ終われと思いつつ、夕方に病院から電話が。「急遽帝王切開で産みます」と。タクシーにかけこみ、病院へ。2092gの小さな、でも、元気な女の子が誕生していました。
「やっとあえた」
ちょっと生まれるには早かったけど、元気にうまれてきてよかった。長女がはじめに手術室からでてきてすぐさまNICUへ。少しだけ様子をみさせてもらい写真をとっておきました。
その後、30分ほどで妻がベッドで運ばれてきた。酸素カニューレをつけてまだもうろうとしていそうな感じ。よくがんばった、ほんとによくがんばったと伝え、病室での準備が落ち着くまで待合室で思いにふけていました。
妊娠の難しさ、妊娠中の不安、そして、出産の際の妻の心の強さを感じた数ヶ月。妻が一番大変だったけど、夫である私も女性の体の繊細さを感じることができた貴重な期間でした。
「不妊」 そして、「妊娠・出産」なかなか思うように順調な経過とはなりませんでしたが、わたしにとっては最大の決断をすることができた期間でもありました。
赤ちゃんのために我慢に我慢を重ねてきた妻。ほんとに強い女性です。少し早く生まれてきた長女。早くあいたかったんだね。
妊活・産前産後に対するサポートへの想い
私たちの場合は、タイミングで授かることができましが、不妊で悩む方は、人工授精、体外受精へどステップアップで治療を進めていきます。私が経験したことを糧に不妊で悩む方のサポートをしたいと考え、学んだ知識や培った経験をこちらの記事で紹介しています。
私は不妊治療はできません。でも体質について、その方の状態を探り、体の状態を調えていくことはできます。不妊治療以外のサポートとして「体の体質改善」を提案していきます。これが私ができる『希望の道しるべ』。
これから迷える方々へ、光をしめせるように。
最後までお読みいただきありがとうございます!